ユラユラリ暇つぶし日記(のようなもの)

自由に気ままに、自分の書きたいことを書いていくだけ。

センスがないのでタイトルが思いつかないpart 14

1回コーヒー作る時に、1つの蜂蜜キンカンのど飴入れてみてほしい。騙されたと思ってみ?マジで騙されるから。コーヒー特有の苦みとキンカン特有の香りが絶妙に合わないから。プラス要素をちょうど打ち消しあってマイナス要素だけが倍になってくる。悪い組み合わせを見つけてしまった。

そもそもキンカンはそんな嫌いではないんだけど、数倍のものが襲ってくるとなると話は別。さてさて、香りというものがこの世には存在して、それだけで存在理由があるものも存在する。香水とかが良い例だね。他にはニンニク、くさや、パクチー。匂いと香りの違いはどこだろうか。良く思えたら香り?そこまでよく思えなかったら匂い?匂いと臭いの違いはどこだろうか?と、毎日くだらないことを考えて、でもあまり調べないんだよねいつも。

なんか、全く必要ないことばかり頭に知識として入ってくる。そればっかり調べてるから。でもそういうものの方が頭に入れていくのが楽しい。ゲームの攻略とか敵キャラの動きとかそういう方が簡単に頭に入る、楽しいから。好きこそ物の上手なれ。楽しい方が圧倒的に吸収率が高い、だから何事も楽しんでいけば良い感じになるね。コーヒーも蜂蜜キンカンも好きだけどあれは別の話。さて、次までに匂いと臭いと香りについて調べようかな、以上。

センスがないのでタイトルが思いつかないpart 13

体を動かすことも忘れないように、しばらく経ったら鈍ってしまって4月頭に疲れまくるという痛い目を見るからね。適度な運動は健康にも大切。

朝礼体操でもやって体を動かそうって感じ。朝礼にやるにはなかなかにハードかもだけど。かなりアクティブだからねあれ。一分の尺にしてはなかなか詰め込まれてる。大変だけど健康のためってのと、恐らく今年のどこかでやらされる可能性が現時点で1番高いダンスだから予めやっておけって感じ。

毎年何かしら文化祭や忘年会でやらされるようなダンスってあるように思える。実際そうでしょ。妖怪体操や恋ダンスとか、去年はUSAだったし。全部サビのところの難易度が低めだから流行るんだよね。でもUSAはやってみたけど上手く踊れなかったから、その時にやらされなくてよかったと心から思った。

オリジナル振り付けってどれくらい難しいんだろ。よく踊ってみたとかであるけど、どうやって作ってるんだろうねあれは。曲のインスピレーションと自分の感性合わせた感じなのかな。でも曲の解釈がちゃんとしていないとただ体を暴れさせてるだけになるし、ちゃんとしててもダサかったり踊りにくかったりとかそこの加減も考えて…と思うと振付師はスゴイ、と同時にあの中に日頃運動してない人は少ないなぁとも思い、だからあれらのダンスが自分にはキツく感じるのかとも痛感した。以上。

センスがないのでタイトルが思いつかないpart 12

と言っても今回はちゃんとタイトル的なものはあるんだよなぁ。【今週のお題「卒業」】こういうものに初挑戦してみようかな。

卒業と聞いてまぁ思い浮かべるのは卒業式、卒業ソング、この支配からの卒業。ただ全部自分には合わない感じ。式で涙を流したことなんてない。まぁ寂しくはなったんだけど。なんかまた必ずどこかで会えるって謎の自信があるってのもあるし、第1そこまで悲しい出来事に思ってないから。

卒業とかは喜ばしいことじゃないかな。よくいろんな曲で歌われてる、「明日への一歩」的なそういうイメージが強い。また新しいところへ踏み出すために卒業というものがあるだけで、本質は今までとこれからを繋ぐ架け橋みたいなもの。友との別れもあるけど、それよりはまた一歩踏み出して進んでいく意味合いの方が強く感じる。

さてけれど、別れてもまた会えると思ってる根拠は全くない、微塵もない、1ミリもない。その気になれば、別れたみんな殆どとまた会うことが出来るし、涙を流してまで別れた後シンプルに会えたらとても恥ずかしい。

まぁそんなことは置いといて、でもきっとどこかで元気に生きている限り再開する機会はいくらでもあるんだから。ほら、そこの電車、1つ隣の車両にアイツがいるかもよ。あの店に行けばバッタリ会えるかもよ。そんなことは結構あると思うんだ。別れてもきっとどこかで繋がってる、そんな気がしてる、だから悲しまないで笑って最後の1日を迎えられる。それを繰り返してただけ。

笑った思い出の方が多いのに最後を泣いて終わらせるのは違うと思うから、最後に笑顔が見たいから、笑った姿で別れたいから、だから最後の、後ろ姿が見えなくなるその時までは笑顔でいようよ。泣くのはそれからでも遅くはないんじゃないかな。柄でもないことを書いてしまったな。とりあえず書き終わるまでは笑顔でいよう。以上。

センスがないのでタイトルが思いつかないpart 11

うん、シンプルに昨日書くの忘れたな(笑)。さて、いつものごとく何もないけどとりあえず書いておこうか。

やりたいこととやるべきことどっちを優先させるべきなんだろうか。どっちも大切なんだろうけど重要度はやるべきことが高いし、やる気はやりたいことの方があるし。長期的に見ても短期的に見ても同じくらいなんだよね。となるとまぁやりたいことを優先してる現状。

やりたくもないことはやりたくないしどうせやるならやりたいこと、まぁ当然だよね。欲望に正直に生きたい。人間の1番の原動力は自らの欲望だし。法律に怒られない範囲で楽しく生きますよ。

逆にやりたいことが出来ない人生なら生きる必要すら感じなくなる。楽しめない人生なんて意味が無い。穴の空いた鍋より不要。生きる上でこの嫌いなこと、つまらないことが必須ならそうせざるを得ないのもわかるけど、それに支配されるのはお断り。そもそも仕事だって頑張れば好きなものを仕事に出来るからね。今やってることも将来自分がやりたい仕事のためになりますように、と祈りつつジクソーパズルを組み立てる。以上。

センスがないのでタイトルが思いつかないpart 10

どうも体がイメージ通りに動かないのを感じた今日この頃。運も体もやる気までもが空回りしてる、そんな人生を送り続けもうこんなに月日が経ちました。あの日からいろいろ変わってしまいました、特に頭の中で考えるようなことが。

絶対にいらない知識をたくさん詰め込み、一般常識(特に社会科関連)をどこかに置き去りにしているよう。早押しで「なぜや」の時点でボタンを押せる能力よりも、名産品からどこの県か当てれる能力の方が世渡りする上では遥かに重要だよね。ちなみに答えはジョージマロリー。何故山に登るのかと聞かれそこに山があるからと答えた人。でもどうやら質問が面倒くさくてさっさと済ませたかっただけと言う説もあるみたい。

それを切り取るだけでこう名言が生まれたーみたいになってる。言葉の切り取りには要注意ってのは常々感じてないとだよ、そこのマスコミ各社及びその記者。同じ言葉でも文脈次第で意味が変わってくるんだよ。例えば「Aさんは必要ない」と言う文に、「Aさんは全く仕事が出来ないから」とつくのと「これはAさんの専門外の分野の仕事だから」とつくのと「Aさんにはこの仕事より大事な仕事をやってほしいからこれには」とつくの、全部意味が変わるでしょ?それを一部分だけ切り取ってこんなヒドイことを…じゃないのよ。ヒドいのはそっち。

実際人が何かを伝えるなんてそんなものよ。どこを切り取りどんな言葉で誰に向かって伝えるか、それで形が大きく変わってくるんだよ。ただ、歴史書とか新聞とかそういう事実を伝えるべきものは個人の感情がどうこうとかここを強調させてここは省いてとかをやってはいけないよ。まぁ大迷惑。それで尾びれがついてより誤解されて…みたいになるのも印象操作をするのも御法度。正しく伝えるのが本来のあり方でしょうが。一部だけ切り取り悪者っぽく見せるという手法はどっかの学生と同じレベルだからね。

だけど、歴史書はちょっと複雑なとこがあるんだよ。歴史、特に戦争は正義がどう、正しい理念がどうとかじゃなく、「勝った方が正義」ってなりがちだからね。第二次世界大戦でもし日本が勝ったらアメリカなどが全て悪者扱いされる、もし明智光秀があのまま天下統一すれば信長を裏切ったではなく、そもそも本能寺の変自体が光秀を陥れる嘘だと判断されてしまう等の光秀万歳みたいな状況になる。だから事実だけを伝えるにしてもちょっと難しいだろうなぁ、聖徳太子もあの写真とは別人って説も出てるくらいだし。やっぱり正しく伝えないとね物事は。ちなみに「なぜや」で始まる問題文は答えがジョージマロリーになるあれくらいしかないから、一字決まりみたいな感じで答えていいって。それは正しいから。以上。

センスがないのでタイトルが思いつかないpart 9

面倒な手順を踏んでようやく達成出来るものがあるって知ってるけども、やる気が途中で行方不明になるから毎回道半ばで諦めてるんだよなぁ。努力が大事とか言うけど、まぁもちろん大切なのはわかるけど、結果の方がよっぽど大事だと思ってる合理主義だから、対価のこと考えるとなぁ…という感情に至る。

日本人は努力を美化したがる。もちろん何かに向かって努力するのは大切なことであるが、なんでもかんでも努力すればいいってもんじゃねぇぞって感じ。努力と結果が見合わなってないのに、努力したってだけで褒めるのはおかしいんだよね。努力して出来ない奴よりは努力してないけど出来てる奴の方がいいでしょって話。あ、仕事を任せるとかそういう時の話だけど、まぁわかるよね普通に。

これみたいに文章を読み取る能力があれば秒速で理解出来るけど、なければ数回見て理解出来るようにする。これもある意味努力だよね。勉強とかダンスとか、すぐ覚えられる才能がある人と努力を重ねて覚えていく人、どっちも優秀だけどより褒められるべきなのは前者なんだよね。そこがわかってないのが残念。

さて、本来ならこの流れで書こうと思ったこともあるのだが、才能がなく忘れてしまったし、思い出すのはたぶん無駄な努力となるので、まぁ不完全燃焼だけどここまでかな、以上